#2 イギリスの新たな生き方「Bopea(ボーピー)」。ロンドン在住のリサーチャーが、から、これからの“イギリスらしさ”を考える
イギリスで広がる新しい価値観、Bopea (ボーピー)とは? テクノロジーと社会、文化の関係を、リサーチャー、社会学者の視点から分析します。Nation of Artisansプロジェクトの進捗も報告。
今週の投稿では、なぜNation of Artisans のプロジェクトを始めようと思ったのかを説明したいと思います。要約すると、(1)“Eメール仕事”の領域を超越したものを求めているから、(2)ウェブメディア『UnHerd』で何年もテクノロジーや文化、イギリスについて不平を言ってきた後、実際に理論を実践に移すときが来たと思ったから。
The Lore —始めに—
Nation of Artisansを立ち上げるという決断は、個人的かつ哲学的な出来事から始まりました。
基本的なレベルでは、私は日々魅力的な“冒険”を追いかけています。イギリス、歴史、文化を探検する口実が欲しい。何かを作りたいし、人とつながりたい。ウィリアム・モリスのソウルフルさを兼ね備えた、21世紀のジョサイア・ウェッジウッドの後継者のような実業家になれるものなら、もちろんそれも悪くない。
しかし、Nation of Artisansにはもっと深い実存的な“層”があります。
過去4年間、私は、文化やテクノロジー、商業にまつわる人間の真理を読み解くことを専門としたリサーチャーとして、ユニークで好奇心旺盛なフィンランドの会社で働いてきました。
その中で、スリリングかつ奇妙なプロジェクトにたくさん携わってきました。フィンランドではサウナのデザインに関わったり、サンフランシスコではかなり変わったゲームデザイナーとパンを食べ、東京ではメタバースの中で暮らしてみたこともあります。カリフォルニアでは宗教生活の未来に想像を膨らませ、中東では億万長者のプレイボーイを追いかけたりしたことも。
もちろん素晴らしい経験ではあったけど、20代後半の今、PowerPointやZoom、Slackを通して未来を見つめている感じもする。
これまでも、「何か新しいものを作りたい」とずっと考えていました。世界に、何か具体的な影響を与えることがしてみたかったんです。
しばらくはウェブメディア『UnHerd』にいくつかのエッセイを書くことでその欲求を満たしていましいた。でもそれは、似非ジャーナリストとして、世界をいろんな角度から解釈しようとしていたに過ぎません。
Nation of Artisansは、私がこれまで散々分析してきた、イギリスにおける4つの“緊張関係”をさらに深く読み解いていこうとする試みです。ここで言う“緊張関係”とは何か?
“フラットな世界”での心地よい生活:経済的に停滞し、かつ文化的にも枯渇した“フラットな世界”における心地よい生活とは?(Link)
テクノロジーの麻痺:テクノロジーにって麻痺した現実から逃れるには?(Link)
文化戦争後のイギリスとイギリスらしさ:文化戦争後のイギリスが目指すべき姿とは?(Link)
経済的・精神的成長政策: 「物質的な進歩」と「精神的な滋養」を両立させる経済を構築するには?(Link)
以下で、この4つの視点がどのように組み合わさっているのかを説明します。
1. “フラットな世界”での心地よい生活
2023年、私は人類学者のチームとともに、20年ほど前から文化的な覇権を握っていた、いわゆる「クリエイティブ・クラス」の現在の実態を探る旅に出ました。
そして、世界の“Shoreditch-Brooklyn-Kreuzberg 圏”(それぞれロンドン、ニューヨーク、ベルリンにあるカルチャーの中心地)に潜入しました。
デザイナー、テック系起業家、ベンチャー投資家、マーケター、シェフ、アーティスト、など、見つけられる限りの“クリエイティブ”に話を聞いたのです。
そしてその時、「何かが変わりつつある」という感覚を得ました。
デヴィッド・ブルックスが「ボヘミアン・ブルジョワ」と呼ぶ、いわゆる“Bobo(Bohemian Bourgeoisieの略)”たちは、その“ブルジョワ感”を失いつつあったのです。
Boboたちの経済モデルは崩壊しつつあり、都市に想像されるようなキラキラしたイメージもなくなっていました。彼らの多くは街を離れ、新たな牧歌的フロンティア、郊外や田舎へと移住し始めていたんです。
しかし、社会階層の変化以外にも、もっと根本的な変化が起きていました。Bobo的ライフスタイルの、文化的・精神的な土台が崩れつつあったのです。
その代わりに私たちが見つけたのは、「新たなカウンターカルチャー的保守主義」でした。
つまり、Soho Hous的な洗練されすぎたミニマリズムでも過剰な装飾でもはなく、より芯があり、魂のこもった、本当の意味でコミュニティ的な何か、を求める姿勢です。
私はこの新しいサブカルチャーを「Bohemian Peasant(ボヘミアン・ペザント)」、略して「Bopea(ボーピー)」と名付けました。
ヒッピー、ヤッピー(Young Urban Professionalsの略)、ボボ(Bohemian Bourgeoisieの略)の後継者のような感じです。
この言葉は最初「UnHerd」に掲載され、その後すぐに広まり始めました。The TimesやTatlerといったメディアにも取り上げられ、最終的にはあの(悪名高い)風刺雑誌、 「Private Eye」の「Pseuds Corner(難解な言葉を取り上げて批評するコーナー)」にまで掲載されました。これは私にとって、ある意味での“勲章”です(笑)。

もちろん、「Bopea(ボーピー)」という概念に疑問を呈する人もいると思います(むしろ嫌悪する人も多い)。それでも私は、彼らが追い求める「調和」と「深く根を張った暮らし」への強い欲求に、強く心を打たれました。
彼らは古くからある健康的な慣習を中心に据え、まったく新しいコミュニティを築いていたのです。サウナ、発酵、木工、野外水泳、パン焼き、養蜂、さらにはコミュニティ化した宗教のようなものまでもを復活させていました。
もちろん、多様なのBopea(ボーピー)がいますが、彼らを結びつけているのは「抵抗」です。テクノロジー中心の社会や、短時間で快楽を煽るようなドーパミン文化、そしてBobo的生活の経済的・精神的な不安定さに対する、静かな反抗なのです。
私は彼らの「魂を探究する情熱」「コミュニティへの献身」「本物の職人技」「歴史への愛」に感銘を受け、自分自身もその引力を感じ始めました。
Nation of Artisansは、このボピアの精神を自分なりに受け止めようとする、私の試みとも言えます。
2. テクノロジーの麻痺
Bopea(ボーピー)たちと同じように、私も急速に進むテクノロジーの発展について心配しています。
もちろん技術と産業の進歩の重要性を認識してはいますが、それが実際に私たちにどんな影響を与えているかについては、不安を拭うことができません。それは注意力の減少だったり、自動化による技術の価値の低下だったり、監視社会への転換だったり。そして、人間の最も汚い本能を利用するような、アルゴリズムがもたらす気分の歪みだったり。
UnHerdに寄稿した記事『The Curse of the Scrolletariat』では、空間と時間を崩壊させる技術がもたらす心の変容について考えました。これらの技術がどのように私たちの経験を圧縮し、文化を平坦化し、実際の世界から切り離しているのか、ということです。
フランスの建築家・哲学者ポール・ヴィリリオの仕事を引き合いに出しながら、私は生活そのものの加速、アルゴリズム的な単一化、そして悪い意味での合理化を嘆きました。
“The speed of light does not merely transform the world. It becomes the world. Globalization is the speed of light.” — Paul Virilio
“光速は単に世界を「変える」のではない。それは世界に「なる」。グローバリゼーションは光の速度なのだ。— ポール・ヴィリリオ”
映像と生成AIが生活のあらゆる要素に浸透している時代において、私たちはもはや世界の中にいる存在ではなくなっているのではないかと思ったりもする。私たちは、トウモロコシの餌を与えられたうさぎのような存在で、TikTok上で死ぬまで自分自身を愉しませているにすぎないのでは、と。
SubstackやSNS上で機械化される社会の流れに抵抗しているという皮肉も、自分では自覚しているつもりです。
それでも、一度これに気がついたらその気持ちに蓋をすることはできません。
Nation of Artisansは、平均的なミレニアルでもなければ、インターネット以前の“本物”を求めるハイデガー的な反動でもない。
むしろ、メディアと物質、テクノロジーと工芸の間に新たな調和を生み出そうとする試みです。
3. “文化戦争”後のイギリスと、イリギスらしさ
2015年、イギリスが自らを引き裂き始めた時期(※2016年はBrexit投票の年)に、私はこれまで以上に政治に関心を持ち始めました。そこから、“イギリス人らしさ”のパラドックスが常に頭の中にあります。
イギリスという国が、全く対立する理想、すなわち貴族的なものとパンク、可愛らしさと反骨精神、を調和させる能力に私は常に驚かされています。
実際に私も、矛盾した物語の中で育てられた記憶があります。例えば、父にとって、“イギリス人らしさ”はクリケットであり、母にとってはヴィヴィアン・ウエストウッドでした。
これらの“緊張関係”に惹かれて、私は2023年のバーバリーのリブランドとタラ・イザベラ・バートンの『Self-Made』について、皮肉を込めて「How To Make Britain Cool Again(イギリスを再びクールにする方法)」というレビューを書きました。
ここで言いたいのは、Nation of Artisansが何か大それた“国家構築プロジェクト”である、ということではありません(そうかもしれないけど)。
むしろ、これは少し実験的なブランディング戦略として、“イギリス人らしさ”の新たなディスコースと物語を統合しようとする試みです。
これが楽しく生産的な対話を生む活動になるかもしれないし、愚かな結果になるかもしれません。もしかしたら、Gen Zが命を懸けるような新しいイギリスの創造になるかもしれません。
これからの記事で、イギリスやそのカルチャー、そしてそれがNation of Artisansのビジュアルアイデンティティやブランディングにどう影響するかについての記事を準備しています。
4. 経済的、精神的成長政策
政治的なスペクトラム全体を通して、成長に関する議論はあまりなされていません。
成長最大主義者は精神的な核心を欠ているし、反成長主義者は福祉や防衛における成長の必要性を過小評価しています。
私は、ヨーロッパのラグジュアリー産業に深く関わった経験や研究、その業界でクライアントとさまざまな仕事をしてきたことから、ラグジュアリー製品の製造がいかにして豊かな経済、意味のある仕事、美しさと職人技を重視する文化を作り出すのか、という点に、魅了されてきました。
執筆した記事『Britain Needs Its Luxury Class』でも書いていますが、これまでの政府はテクノロジーを“フェティッシュ化”し、人間的でクラフト主導のラグジュアリー産業を完全に無視してきました。
Nation of Artisansは単なる高級ブランドを作るためのプロジェクトではありません。美しいものを作り、そしてイギリスのクラフトとその精神を癒すために、素晴らしい地元の製造業と人間の創意工夫を合わせることが目的です。
その始まりが、このSubstackです。
What’s Next?
ここまで、Nation of Artisansのプロジェクトをインスパイアする背景や思いを説明してきました。さて、プロジェクトは実践的な段階に進みます! 今後数週間で、ブランド構築の重要な(面倒な)プロセスを始めます。つまり、ロゴ、イメージ、カラーパレット、マスコット──そしてコンペティション! その後、最初の小さな冒険が始まります。まずはボクサーパンツを作ります。
私のソフトボーイ的な反省は終わりです。今度は現実的な業界の話をしたいと思います。きっと成功すると信じて…!
ちなみに
プロジェクトを立ち上げてから、いろいろなことがありました。
『Return of the Artisan』の著者であるグラント・マクラーケンさんが、LinkedInで私の投稿を偶然見つけて連絡をくれました。彼の本をもらったので、今読んでいるところです。彼のSubstackはこちら。
飛行機の中で『The Radical Potter: The Life and Times of Josiah Wedgwood』を読み始めました。ウェッジウッドの成功と近代イギリスの形成とを切り離すことは不可能だと思った。製造とイギリスは同じ磁器の皿の裏表。
気まぐれに、Nation of Artisans のインスタ投稿を50ポンドでブーストしてみたら、イギリス(そして世界)の各地にいる魅力的な人たちが連絡をくれました。これからコラボレーションの機会もたくさんありそうな予感!
LAで、『Gonggan』というヒップなカフェに立ち寄りました。カップホルダーに「A PLACE TO FULFIL YOUR EMPTINESS」と書いてあり、このカフェは「充実感を満たす場所」だと教えてくれた。飲み物も美味しかったけど、私たちは“からっぽの時代”に生きているのかもしれないと気付かされた。
ここまで読んで、もしNation of Artisansのプロジェクトに興味を持ってくださったら、ぜひこのSubstackをシェアしてください! 楽しんでくれると思う人々に届けてくれると嬉しいです。
Translation: Minami. N